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障害者とその家族の切実な要求を実現するために私たちは何ができるかを一番に考える。

板原 克介さん
板原 克介さん
社会福祉法人 いずみ野福祉会 理事長
1948年、重度視覚障害児として大阪府に生まれる。
1975年3月、日本福祉大学社会福祉学部第1部社会福祉学科卒業。社会福祉学研究科社会福祉学専攻 修士課程1978年3月修了。
「岸和田障害児(者)を守る会(現:大阪障害児・者を守る会 岸和田支部)」への参加をきっかけに、1977年6月、岸和田障害者共同作業所(無認可)を開所。そして1981年3月、社会福祉法人いずみ野福祉会を設立。現在は岸和田市、高石市、和泉市、富田林市、泉南市の5市に事業拠点を持ち、利用者1,000名以上、職員660名以上の規模に拡大。福祉経営者として、社会福祉事業家として精力的に活動中。
―日本福祉大学へ進学した理由を教えてください。
私は重度視覚障害児として生まれ、物心がつく頃から視覚障害者が仕事に就くには三療師(あん摩マッサージ指圧師・はり師、きゅう師)になるか、それらの教員になるしかないと聞かされていました。自分にも職業選択の自由があるはずだと抗いつつも、盲学校の小学部から高等部まで進み、三療師の教育課程を経て資格を取得。しかし三療の奥深さを知り、およそ自分にはその才能がないことに気付き、このまま仕事をするのはあまりにも人間に対して失礼だと感じたのです。「ここで仕切り直しをしなければ、いい加減な人生を送ってしまう」と考えていた時、日本福祉大学を知り、笑顔で楽しそうな学生たちの姿と自由な学風に惹かれて入学しました。
―大学時代をどう過ごされましたか。
真っ先に思い出すのは学友たちとお酒を飲んでいたことですね。入学時、私は22歳。親に「大学で専門書がたくさん必要だから」と言ってお金を送ってもらい、それを飲み代に使っていました。社会福祉を志したいとさまざまな経歴、年頃の人が日本福祉大学に集まった時代。多様なバックグラウンドを持つ人たちとの交流は刺激的でしたよ。特に「〇〇先生のあの話はどう思う?」と真剣に意見を交わした経験は良かった。おかげで議論の大事さを知ることができ、仕事で非常に役立っていますから。
もともと勉強嫌いでしたが、「社会福祉」という学問は興味深かったです。印象的だったのは、3年次のゼミ実習。実習先の「ゆたか共同作業所」の職員や利用者の方たちが楽しそうに働いている姿を見て衝撃を受けました。働くことは義務ないしは食べていく手段でしかないと刷り込まれてきた私に、決してそうではないことを皆さんが実践して見せてくれたのです。これを機に「共同作業所についてもっと勉強したい」と思い、自分の中のスイッチが入りました。自分に合った人間的な労働を獲得できるならば、これ以上の生きがいはないと考えるようになり、大学卒業後は大学院へと進み、「障害者と労働」をテーマに共同作業所や小規模作業所を訪ねて分析。知れば知るほどのめり込んでいきました。.....※お話の続きは会報123号(PDF)をご覧ください。