卒業生は今

早川 ユミさん


早川 ユミ(はやかわ ゆみ)さん
布作家

1957年 生まれる。
1980年 日本福祉大学社会福祉学部卒業。
1983年 アジアの国々を旅する。アジアの手紡ぎ、手織りの布たちに出会う。
1985年 愛知県常滑のちいさな山のなかで、ちいさな畑を耕しながら、哲平と暮らし始める。子育ての日々。
1987年 タイのナンコンパトムに暮らし、ちくちく仕事。バンコク・シラパコーン美術大学とチェンマイ・タップルートで展覧会。
1988年 インドとネパールへの子連れ旅。
1994年 タイのダンクェン村でものつくり。
1998年 高知の山のてっぺんに移住。棚田にちいさな果樹園とちいさな畑をつくる。谷相の種まきびとに出会う。
アジアの手紡ぎ、山岳少数民族の布、柿渋で染めた布、麻布でちくちく手縫いして、衣服をつくり、全国各地で個展活動。夫である、陶芸家の小野哲平の薪の窯たきを手伝ったり、種まき、木を植える。アジアの布を探して、家族で旅をする。ときどき、セツローさんとふたり展をひらく。

■ものつくりに興味をもったきっかけを教えてください。

わたしがものつくりというものを意識したのは、大学時代にまで遡ります。当時、わたしは幼児教育に関する研究をおこなう近藤薫樹先生のゼミに所属していました。あるとき、ゼミの学びのなかで、名古屋にあった「海賊船」という工作学校を訪れることになったのです。海賊船は学校というよりは塾の形態にちかく、木や糸や布、金属といったあらゆる素材が部屋の一角に無造作に置かれていて、子どもたちはそこから好きな素材を選んで、ものつくりをするという仕組みになっていました。そこには子どもだけでなく大人もいて、簡単な織物をしていたり、ろくろを使って陶器をつくっていたり、木や石を使って何かをつくっている。子どもたちはその大人のやり方を見て、ものつくりを学んでいくわけです。そこには、時間的な制約も一律の素材キットもない、美術や工作といった現代教育とは一線を画した空間がひろがっていました。そういうものつくりの現場に子どもたちと触れ合いながら2年間通っていると、いつしかものをつくることが楽しくてしかたなくなっていた自分がいたのです。

■そこからどのような経緯で布作家への道を歩むことになったのでしょうか。

ものつくりを仕事としたいという思いから、大学卒業後に染め織りを習いはじめました。ただ、しばらくして、染め織りに対する自身の限界を感じてきたこともあり、衣服のかたちを探すために、インド、タイ、インドネシア、ネパール、ベトナム、ラオスといったアジアの国々を旅することになったのです。そこで、アジア各地で今なおつくられている、手紡ぎ手織り布や草木染めなどの美しい布に出会い、こころを奪われました。さらに旅のなかで感じたのは、世界にはいろんなしあわせや豊かさのかたちがあるということ。日本に住んでいたときは日本でのしあわせの基準しか見えていませんでしたから。この旅は、自分の根っこを探す旅でもありました。自然とともに生きるひとびとの暮らしが大地につながり、根をはる様子がこれからのわたしの生き方と重なり、ついにわたしは自分の根っこに、源流にたどり着くことができたと感じたのです。
もう一方で、私は働き方も探していました。当時の時代背景もあり、わたしは身近な社会問題の解決に向けて意見したり、積極的に関わったりしました。チェルノブイリの原発事故を受けて、反原発運動に参加したこともありました。ただ、そのときに直感したのは、まず自分の暮らしを変えることで何かが変わるのではないか、ということ。人任せになっている今の社会のなかで、もっと暮らしのなかから衣食住に関われることを自分の手で生み出せるようになりたいと。アジアの国をまわって感じたことと、その思いがひとつにつながった瞬間でした。そこから今の暮らしのかたちがはじまったのです。味噌や梅干しといった食べ物や衣服。自分でつくれるものはすべてつくろうと。絵を描くように、うたをうたうように、粘土で器をつくるように、衣服をつくりたい。からだが着てみたい衣服を五感で感じとって、つくりたい。こうして、やっとわたしは布作家というものつくりの仕事に出会うことができたのです。

■日本福祉大学で学んだことで、現在の活動に活かされていることは何ですか。

近藤薫樹先生の著書に『この子の中の歴史と未来』という一冊があるのですが、それが今のわたしの考え方の礎となっています。人をみるときに、その人の歴史という範囲だけでなく、それを飛び越えて縄文人からの人間の歴史を見据えた上で、先の人間をみること。わたしはこの本を通して、歴史をみていくことの重要性を学びました。さらに大きな影響を与えたのは、日本福祉大学の特殊な環境。当時は社会人の方や一度社会に出られて入学した方なども多くみえました。私のように高校から現役で入学した者にとって、経験豊富な年上の方々のなかで過ごすことは、常に自分の生き方やアイデンティティを問われていうような感覚になり、とてもプレッシャーのかかることでもありました。ただ、そのおかげで自分自身と向き合うことができたのも事実ですし、その後の人生において大きな収穫となったことは間違いありません。その意味でも、わたしのなかに種をおいたのは、日本福祉大学での学びだったと感じています。

■今後の活動についてお聞かせ下さい。

種をまいて、種とりすると、つぎの種がそれを記憶するのです。それと同じように、わたしが生きていくなかで感じ記憶したことを、次の世代に伝えていかなくてはならないと思っています。実際、若い子が手伝わせてほしいと、わたしが暮らす高知の山のてっぺんまでやってきます。それは、わたしが変わったから。その考えに賛同して、何かを感じてくれたから。そうやって、人はつながっていくのです。いっぺんには変わってはいかないですが、一人ひとりの暮らしが変わっていけば、この世の中もいくつか大きく変わっていくのではないかと信じています。本を書いたのも、若い子を受け入れているのも、つぎの世代のものつくりの担い手を育てていきたいという思いから。若い人には、ものつくりはもちろんですが、暮らしを含めた人としての営みのすべてをみて、生き方を学んでいってほしいと思っています。さらに、生の人間に触れて学ぶという学びのかたちもあるのだということを理解してもらえたらうれしいですね。

■同窓生にメッセージをお願いします。

誰かが、誰かのために、つくったもののなかには、気もちが込められています。もちろん、自分でつくったものならば、そこに愛おしさを感じることでしょう。その気持ちこそが、これからの時代を変えていく可能性を秘めていると、わたしは感じています。現代の大量生産、大量消費は人の気もちまでも変えてしまっているのではないでしょうか。種をまいたり、木を植えたり、木の実をとってきたり、自分の手と足を使って暮らしをつくること。人間が元来もっている野性を磨いていくことが大切だと考えています。これからもわたしなりのアプローチで、より良い社会のあり方を探っていきたいと思っています。



日本福祉大学同窓会会報108号(2012年3月)より転載