夢や目標を持ち続けることで、 自分の可能性と大切な存在が見えてくる。

宮島 徹也さん
富山県車椅子バスケットボールクラブ所属
車椅子バスケットボール選手
宮島 徹也さん
富山県生まれ。2011年3月、日本福祉大学情報社会科学部人間福祉情報学科卒業。中学2年の時、バスケットボール県選抜チーム入りを決める選考会中に靱帯断裂の大けがを負い、手術を受けるも医療ミスが原因で左太ももから下を切断。半年後に車椅子バスケを始め、高校2年でジュニア日本代表、日本福祉大学在学中の2008年には北京パラリンピックに日本代表として出場。その後も2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロと3大会連続出場を果たす。アスリート契約を交わすバーチャレクス・コンサルティング株式会社に在籍し、富山県車椅子バスケットボールクラブの主将としてチームを束ね練習に励む。

車椅子バスケットボールの魅力を教えてください。

 タイヤとフロアの摩擦で焦げた匂いが漂うほどのスピーディーかつ激しい攻防が、車椅子バスケットボールの魅力。また、選手の障がいレベルには個人差があるため、互いの身体的特徴を理解して助け合うチームワークも魅力の一つです。私の所属する富山県車椅子バスケットボールクラブでは、60歳を超えたメンバーも一緒になってプレーしています。このことは健常者バスケットボールでは考えられないことです。連携プレーから得点につながった時など、世代を超えて一緒に喜びを分かち合えることは、車椅子バスケットボールならではの醍醐味とも言えます。これらの魅力を多くの人に伝えたいと思っているのですが、言葉ではなかなか伝わらないこともあるため、機会があれば実際に見て体験してもらいたいですね。きっと驚くはずです。

大学での学びや経験が現在の活動に活かされていると思うことはありますか。

 在学中はゼミナールにて障がいを持つ人たちの日常生活における移動距離について調査・研究を行いました。自身の経験と調査結果を基に、外出機会が増えると多くの出会いや交流が生まれ、さまざまな人とのつながりを持つことができるのではないかと提案発表したことを覚えています。そのようなことから、所属チームの若い選手たちには積極的に外に出掛け、色々な経験をするように言ってきました。また、障がいを持っていてもスポーツができそうな人には、「車椅子バスケットボールをしませんか?」と自ら声を掛けるようになりました。大学の学びの中で気付いたことが、私自身や周囲の人たちに少なからず良い影響を与えているような気がします。

医療ミスからの左足切断という受け入れ難い現実に直面した当時の心境はどれほどのものだったのでしょうか。

 手術によって再びバスケットボールができると思っていたのに、足を切断すると言われた時は何を言っているのか理解することができませんでした。後に母親から聞いた話では、死を選ぶか足を切断するかを迫られているような時に、「バスケがしたい、バスケをさせてくれ!」と病床でずっと言っていたそうです。当時の私にとってバスケットボールは、自信を持って人に好きだと言える唯一無二のものでしたから、死んでしまうことへの恐怖よりも先に、バスケットボールができなくなることの方が嫌だったみたいです。麻酔から目覚めて短くなった左足を見た時は、大きな衝撃を受けて涙が止まりませんでした。病室で母親や看護師に当たり散らし、母親に向かって「死にたい」とまで漏らすこともありましたが、そんなどん底の状況から頑張ろうと前向きになれたのには、私に寄り添ってくれた家族、学校帰りに毎日見舞いに来てくれた友だちなど、今まで通りに接してくれる周囲の人たちの言葉があったからだと思います。
サンプル画像1
チームメイトと激しく競り合う宮島さん
サンプル画像2
チームメイトを集めてアドバイスを行う宮島さん

車椅子バスケットボールを始めたきっかけを教えてください。

 病室で当たり散らしていたどん底の時期に、車椅子バスケットボールを題材にした漫画「リアル」(集英社/井上雄彦 作)を読んで、自分もやってみたいという思いが湧きました。そして、どこから聞いたのか3歳年上で、車椅子バスケットボールジュニア日本代表の野澤拓哉さんが訪ねてきたのです。既に世界と戦っている彼が「一緒に日本代表になろうぜ」と誘ってくれたことが、私が競技を始める大きなきっかけになりました。退院後、彼の所属するチーム練習に参加。誘ってくれた野澤さんに追いつきたい気持ちもあって、目標を北京パラリンピック日本代表と決めてからは、人一倍練習に打ち込みました。大学2年生の時に念願の日本代表として北京パラリンピックに出場。当時は試合などで遠征することが多く、学業との両立には苦心しましたが、大学の教職員の方々のご理解とご支援には凄く助けられました。

世界を相手に戦い続ける原動力は何ですか?

 周囲の人たちの存在です。5歳と2歳になる二人の息子や家族が試合に駆け付けてスタンドから送ってくれる声援は力になりますし、毎週2回石川県内灘町にて開催しているスポーツアカデミーで教えている子どもたちとバスケットボールをすることもそうです。年齢に関係なく車椅子バスケットボールの練習に励むチームメイトの姿も私の背中を後押ししてくれています。過去を振り返って見ても、その時々で私の周りにいた家族、友人、チームメイト、他県の選手、海外の選手たちの存在が私を大いに奮い立たせてくれました。そして何より、日本代表という目標がモチベーションを維持する一番の原動力になっているのだと思います。父親が名付けた私の名前「徹也」には、最初に心に決めたことを最後まで貫き通す「初志貫徹」の意味が込められています。その名前の通り一度決めたことは最後までやらないと気が済まない性格ですから、目標を持ち続けていたからこそ今まで世界を相手に戦ってこられたのではないでしょうか。

リオデジャネイロパラリンピックを振り返っての感想をお聞かせください。

 凄く長かった4年間があっという間に終わった感じです。今大会は選手としてまた一つ成長することができましたが、チームに良い結果をもたらす選手にはなれなかったと思います。本番で実力を発揮する難しさを痛感しました。今後、日本代表チームがどのようなスタイルのチームを目指していくのかによって、私に求められるプレーや役割も変わってくるはずです。周囲からは当たり負けしないフィジカルとゴール下に切り込むプレーが私の持ち味と言われています。チームスタイルが変化する中で、自分のパフォーマンスがどれほどのものなのかを楽しみながら練習に取り組んでいきたいと思います。2017年には世界大会の予選が始まりますので、そこでも日本代表として戦えるよう、目の前にある目標を一つずつ達成していきたいと考えています。

2017年4月、スポーツ科学部が開設されます。それに伴い、母校に期待することはありますか?

 スポーツ科学部が開設されると聞いて非常に驚いています。スポーツ科学部棟(仮称)に設けられるスポーツ演習室には、バスケットボール公式コート3面分の広さが確保されるようですから、完成したら是非私を呼んでください(笑)。日本福祉大学は障がいを持った方とのつながりが深いですし、2020年には東京オリンピック・パラリンピックが控えています。障がいの有無にかかわらず、競技、研究、趣味など、さまざまなスタンスでスポーツに関わる人たちが集まり、そのような人たちをサポートする場所になってもらえたらと思います。動作法や栄養学など、スポーツに関連するさまざまなことが学べるといいですね。

最後に同窓生・在学生へ向けてメッセージをお願いします。

 夢や目標を持っているだけで、人は変わることができると考えています。理想の自分に少しでも近づこうとしているならば、つらい状況に直面したとしても必ず周囲の人たちがあなたを応援・サポートしてくれるはずです。たとえ、夢や目標を実現することができなかったとしても、一人の人間として成長したことになるでしょうし、応援・サポートしてくれた人は、あなたにとってかけがえのない大きな財産となるはずです。同窓生や在学生の皆さんには、年齢を問わず、夢や目標を持ち続け、その実現に向けた取り組みをしてもらいたいと思います。

お知らせコーナー

富山県車椅子バスケットボールクラブのメンバー
富山県車椅子バスケットボールクラブでは、一緒に参加して楽しんでくれる仲間とマネージャー、スポンサーを募集しています。パワフルでスピーディーな車椅子バスケットボールで、一緒に汗を流しませんか?厳しい練習だけではなくオフ会を開催するなど、明るいメンバーばかりです。富山市勤労身体障害者体育センター(富山市水橋)にて、試合日を除く毎週木曜日午後7時と日曜日午後1時から練習を行っています。上半身に障がいをお持ちの方でも参加できる「ツインバスケットボール」もあります。興味関心をお持ちの方は、クラブ公式サイトお問い合わせメールフォームより、お気軽にご連絡ください。
写真:富山県車椅子バスケットボールクラブのメンバー
(2017年発行 日本福祉大学同窓会会報119号より転載)