寄り道の多い人生でも、 無駄なことは一つとしてない。

岡本 靖史さん
社会福祉法人みなと福祉会 わーくす昭和橋
主任生活支援員
岡本 靖史さん
兵庫県生まれ。1989年3月、日本福祉大学社会福祉学部社会福祉学科卒業。7年間の板前修業を経て、自然食レストラン店長、高齢者配食サービス事業に従事。現在は、社会福祉法人みなと福祉会 わーくす昭和橋にて障害者の就労支援を目的に調理指導を行う。プライベートでは名古屋を拠点に「食」を通じて親子の絆を深める「おやじの休日の会」を主宰し、親子での休日の過ごし方のアイデアを発信し続けている。2005年愛知県地産地消弁当コンクール・プロの部優勝、ワンモアライフ賞受賞。2006年地域に根ざした食育コンクール特別賞受賞。愛知県キャンプ協会主催キャンプ料理コンテスト金賞3回、銀賞3回受賞。著書に『ひらめき!食べもの加工 おもしろ実験アイデアブック』(農山漁村文化協会)がある。わーくす昭和橋の正職員14名の内、日本福祉大学卒業生は5名。法人全体では33名の卒業生が勤務する。

日本福祉大学へ進学した経緯を教えてください。

 アジアやアフリカをはじめとする発展途上国の貧困について興味があり、マザー・テレサの本を浪人時代に手にしたのがきっかけです。その本には、日本にも存在する別の「貧困」が書かれていました。豊かな国で、食べ物も履くものもないという物質的な貧困は少なくても、目の前に飢えている人たちを見て見ぬふりをする「心の貧困」が存在するのではないかと。これに共感し、大学で心の貧困について学びたいという気持ちが芽生えました。進学の相談に乗ってくれた予備校の先生に日本福祉大学を勧められ、パンフレットを取り寄せると、学生同士の対談が載っており、自由闊達に議論する学生生活へのイメージが膨らみました。入学への思いがだんだんと強くなっていったのを覚えています。

大学での生活はいかがでしたか。

 入学する前に抱いていたイメージそのままの大学で、学生同士で熱く語り合いました。児童文学研究会に所属したり、引越会社や古墳調査(友人からは「発掘」というあだ名で呼ばれるように)のアルバイトをしたりするなど、充実した4年間を過ごすことができました。学生生活で特に記憶に残っているのは、ゼミでの活動です。3年生の時にインドを放浪し、貧困の実態を含めいろいろと見て学んできたのですが、それを卒論にまとめる際に、先生は適切なアドバイスをくださいました。また、人を受け入れることが福祉であるということもゼミで学びました。

卒業後、なぜ板前の道に進まれたのですか。

 板前を志したきっかけは、大学の実習で訪問した障害者支援施設での体験にあります。その施設には、自閉症と診断された方たちが入所されていました。そのような方たちと接したことがなく、自閉症についての知識も十分ではなかった私は、上手くコミュニケーションをとることができませんでした。どうしたら良いのかと悩んでいると昼食の時間になり、入所者の皆さんがニコニコしながら食事をする光景が目の前に広がりました。その幸せそうな光景に、美味しい食べ物は誰をも幸せな気持ちしてくれることに気が付いたのです。中学生の頃に調理師専門学校への進学を考えたこともあったことから、福祉よりも調理の仕事が私には向いていると考えました。そして、板前の道に進むことを決意したのです。福祉に対する未練が無かったわけではありませんが、実習で人を支えることの大変さを目の当たりにし、仕事として続けていく自信を失ったことも少なからず影響していると思います。
 そのような経緯で厳しい板前の世界に足を踏み入れると、すぐに自分の考えの甘さを痛感しました。福祉の仕事に対する想いが募っていくものの、周囲の反対を押し切って板前になると言った手前、簡単には引き下がれません。大学の恩師の「福祉だけが福祉ではなく、どのような職業であっても福祉の心を持って接することが、福祉の大学を卒業した人の宝であり、そこを外さなければ何をしていてもいいじゃないか」という言葉も、板前修業を続ける励みになっていました。

プライベートでは、「食」を通じて親子の絆を深める活動「おやじの休日の会」を主宰されていますね。

 私自身が子育てに関われないほど、ワーク・ライフ・バランスを崩したことが活動の発端です。7年間の板前修業から、自然食レストランを開店したのは良かったのですが、仕事から帰宅するのはいつも深夜。子どもが生まれ、子育てが大変な時期にも関わらず、子どもと接する時間を持つことができませんでした。そのような家庭の事情から、軌道に乗り掛けていたレストランも1年半で閉店することに。
 この時の失敗から、私も含めた父親が子育てに参加するきっかけになればと、「おやじの休日の会」の活動を始めたのです。子どもの視点でワクワクすることを、父親も一緒になって楽しもうというもので、ペットボトルを使ってピザの生地を作ったり、そば打ちをしたりと、子どもも父親も本気で楽しんでいます。また、より多くの親子に楽しんでもらいたいと考え『ひらめき!食べもの加工 おもしろ実験アイデアブック』を上梓しました。私のキャパシティを越えている部分もありますが、人のために頑張ろうとすると、不思議とエネルギーが湧いてくるものです。また、そのような時には必ず助けてくれる人が現れます。これまでの経験からも本当に人には恵まれていると感じています。

現在は、福祉のお仕事をされていますね。

 やはり福祉に関わりたいと思っていたところ、知人に紹介されたのが、現在勤務している社会福祉法人みなと福祉会です。私が勤務するわーくす昭和橋では、介護を必要とする方に対して、日中生活の支援、生活に関する相談、生産・創作活動の場を提供する生活介護事業と、障害を持つ方が食事やお惣菜を作る就労継続支援B型に取り組んでいます。私は主任生活支援員として、高齢者向け配食サービスとグループホームの食事作りの他に、「肉まん」や「プリン」などのオリジナル商品の製造とその作業にあたる障害を持つ施設利用者への調理指導を行っています。このような「食」をテーマにした活動は、私の好きなことが原点になっていますから、職場の仲間たちからは誰よりも楽しそうに仕事をしているとよく言われます。現在、「肉まん」の売れ行きが好調で、販売数を大きく伸ばしています。

おいしい「肉まん」はどのようにして出来上がったのですか。

 作業にあたる利用者の給料をなかなか上げられないのが課題でした。頑張れば収入が増える。そういう環境を整えて、利用者のモチベーションの向上につなげたいと思ったのです。打開するためのヒントを探しに、中川区ブランド野菜製品開発研究会に飛び込んでみました。そこで地域特産の「野崎白菜」を使った「肉まん」を作れないかと依頼されたことから、私たちの「肉まん」作りが始まったのです。ゼロから研究を重ね、試行錯誤の末に「肉まん」を作り上げたのですが、製品化を検討する会では「おいしいのだけど、何かが足りない」との厳しい評価が下りました。途方に暮れていたところ、“中華の鉄人”陳建一さんの兄弟子が地元にいらっしゃると聞いて、紹介してもらいました。一から作り方を教えてもらうと、格段に美味しい現在の「肉まん」ができ上がったのです。
 販売を開始すると売れ行きは好調で、利用者の給料も少しずつ上がり、ボーナスも支給できることになりました。いずれは名古屋市内の有名百貨店、松坂屋に出店したいと夢を語っていたところ、いきなりチャンスが到来。名古屋商工会議所の経営塾に参加して、審査を通過すれば出店できるというのです。厳しい審査を経て1週間の出店が決まりました。いざ出店すると当初予定していた1,800個を上回る2,400個を売り上げることができました。周囲の方からの厳しい助言や指導があってこそ本格的な「肉まん」を完成することができましたので、人とのつながりは本当に大切だと実感しました。

最後に同窓生へ向けてメッセージをお願いします。

 私たちが「肉まん」を松坂屋で販売することができたように、楽しい夢や理想を持ち続けていれば、いつか必ず実現できると考えています。同窓生の皆さんにも、楽しい夢や理想を持ち続けていただきたいと思います。私はこれまで寄り道や挫折を多くしてきましたが、だからこそ出会えた人や職場があり、毎日楽しく仕事をすることができています。生きていると良いことばかりではなく、悪いこともありますが、「災い転じて福となす」と言うように、前向きに日々の生活を送っていただきたいです。

お知らせコーナー

肉まん
社会福祉法人みなと福祉会
わーくす昭和橋では、地域社会と「食」でつながり、地元の食材を使った製品開発を行っています。地域特産の「野崎白菜」を使った製品開発のプロジェクトから生まれた「なごや招福肉まん」は、具はもちろん、“ふっくら”とした美味しい皮も自慢。安心安全へのこだわりから、化学調味料は使用せず、愛知県産の「きぬあかり(小麦粉)」「知多三元豚」「野崎白菜」を使用しています。
(2016年発行 日本福祉大学同窓会会報116号より転載)