障がいをもった人々の意思を尊重し、その人らしい生を支える

福住幸子さん
NPO法人東三河後見センター
理事・事務局長 社会福祉士
福住幸子さん
富山県生まれ。1963年3月、日本福祉大学社会福祉学部第Ⅰ部社会福祉学科を卒業。在学中、伊勢湾台風被災者の支援活動に参加し、卒業後、その被災を機に名古屋市南部に誕生した南医療生活協同組合に就職。16年間勤務の後、豊川市に移り、ご主人が経営する精密機械部品メーカーに勤務。その傍らボランティアで地域の方々の介護・福祉・医療等に関わる相談に乗ったり、学習会の講師などを務める。63歳で日本福祉大学中央福祉専門学校に入学し、社会福祉士資格を取得。現在、2007年に設立したNPO法人東三河後見センターで、成年後見制度の利用促進に取り組む。

まずはじめに、日本福祉大学へ進学した経緯や、 学生時代の思い出などを聞かせてください。

 高校卒業後、大学進学に臨み、何を学び将来何をやりたいのかはっきりしないまま、東京で大学生活を送りましたが、途中で悩み半年で富山に戻りました。来年もう一度、志望校に入学をと考えていたんです。ところが、浪人生活中に、実家の事業が破産し、経済的に上京することが無理になりました。ちょうどその時、受験雑誌で、日本福祉大学の紹介記事を目にしました。学費が大変安かったんですよね(笑)。それとこの大学には何か自分が求めるものがあると感じ、入学しました。入学後、驚いたのは他の大学を辞めて日本福祉大学にきた人や一旦社会に出た後入学した人たちがいたことです。入学したのが1959年ですから、嫌でも社会情勢に目を向けなければならない時でした。それまで私は、政治・経済など社会の動きに関心を持つ環境で育ってこなかったのですが、熱気溢れる若い先生方の講義やサークルでの諸先輩との交流の中で、2年生の頃から社会の仕組みなどに強い関心を持つようになりました。そうして、真面目な父が資金繰りに苦しみ、挙句の果てに破産したことや、子どもの頃から気がかりだった貧困に苦しむ人たちの存在も社会の仕組みと関係があるのではないかという問題意識を持つようになりました。

卒業後は、どのような道に進まれましたか。

 伊勢湾台風後の1961年、名古屋市南区に誕生した南医療生活協同組合みなみ診療所に就職しました。学生時代、同じ南区弥次ヱ町で日本福祉大学が他大学とも連携して始めたセツルメント活動に加わり、その流れで、南医療生協に就職したんです。ここでは、日本福祉大学を卒業したからといって、医療相談室での勤務だけでなく、受付、保険請求、オルグ活動など忙しく、病院オープン後は、全般管理業務を経験しました。
家庭の事情で退職後、豊川市で夫が経営する精密機械部品製造業に関わり、油だらけになってNC旋盤や羽切盤など工作機械の操作に夢中になりました。経営者の端くれだったわけですが、既に関わっていた親族への気遣いもあり、私は事務所の金庫管理等には一切タッチしませんでした。大変な苦労だったのでは?と聞かれれば、実は全く逆で、物を製造する仕事はとても面白かったんです(笑)。中小企業経営の苦労は当然ありましたが、物を生み出す仕事は、成果がはっきり見え、それはもう楽しくて22年間油まみれになって夢中で働きましたね。世の中の経済の動きにとても敏感になり、今、大変役立っています。

それがまた、どうしてNPO法人に勤めることになったのですか。

 この間、事情があって富山から引き取った実母の介護を家業と並行しておこなっていました。82歳から95歳まで在宅で認知症の母親を介護し、終わった時、48歳だった私は62歳になっていました。62歳の私に夫が、「もう会社を辞めて、好きなことをやって」と言いました。そして、「福祉や介護の相談などやって、社会貢献しようかな」と思ったのです。しかし世の中は介護保険制度のスタート以来、相談だとか支援だとか言っても、昔の経験は社会的に信頼されず、資格の有無が問われる社会になっていました。
本当にショックでしたね。それで、ボランティア活動をやるにも、何か資格をとらなければダメだと思い、社会福祉士の資格を取ることにしました。油まみれの毎日でしたが、その間も、地域で介護問題や医療問題などについて相談に乗ったり、働く人たちの学習会に呼ばれて話したりしていたので、卒後40年以上経っていましたが、試験科目にも馴染み感があり、念願が叶いました。「さあ、介護も終わったし、地域で!」とゆったりした日々を夢見たんですが、ちょうどその頃、知的障がいを持った人たちの後見制度法人の設立に誘われたんです。もちろん、無給で勤務しています。

成年後見に対するお考えや、これからの取り組みなどについてお聞かせください。

 この制度は、ご存じのように、平成12年4月に施行され、裁判所の審判を受けた後見人等(保佐人、補助人)が障がいを持った人々の代理人として法律行為をおこない、本人の権利行使を保障する制度です。この制度で専門職と言われるのが、弁護士、司法書士、社会福祉士なんです。少子高齢社会では、親族が後見人等になる比率は減少傾向にあり、この制度の普及のためには第三者専門職後見人等の増加が不可欠です。でも、それぞれの事情や理由により、専門職後見人等の不足は単純には解決しません。日本福祉大学の卒業生の皆さんに期待するところ大です。
 「本人の自己決定の尊重、ノーマライゼーション、残存能力の活用」、これがこの制度の理念です。この理念に基づいて法律行為をおこなう後見業務に福祉系専門職の参加が増えることによって、障がいを持った方々の権利擁護の質も高まるはずだと私は思っています。今、私どものNPO法人では、独立行政法人福祉医療機構の社会福祉振興助成事業として、「市民後見人養成とサポートシステム構築事業」に取り組んでいます。行政、社協、医師会、専門職(弁護士、司法書士、行政書士、社会福祉士)の方々に参加をお願いし、「東三河市民後見検討委員会」が事業の推進に努力中ですが、日本福祉大学の柿本誠教授が、その委員会の副委員長の重責を担ってくださっています。卒業生としては、大変うれしく、感謝しています。

最後にメッセージをお願いします。

 まず、より良い社会資源の創造に力を発揮していただきたいですね。制度の説明者で終わらないでいただきたいということです。それと、日本福祉大学の卒業生は、現役中は職場で、老いたら地域社会でと一生期待されていると思います。人生丸ごと、福祉の専門職として期待されているのです。政治、経済、医療、文化など幅広い分野に関心を持ち、時代が求める福祉専門職の在り方を模索し続けていただきたいと願っています。
2011年3月17日発行 日本福祉大学同窓会会報106号より転載)