自分自身に対しても正直であり続けたい

丹下明則さん
タンゲ化学工業株式会社 代表取締役
丹下明則さん
愛知県名古屋市生まれ。1989年日本福祉大学社会福祉学部入学、1993年卒業。大学卒業後、父の紹介で取引先の「株式会社ぶんぶく」にて3年間修業した後、家業であるタンゲ化学工業株式会社に入社。2005年に三代目代表取締役社長に就任。現在は国内トップシェアを誇る湯たんぽを主軸に、じょうろ、バケツ、灯油缶など、プラスチック製品の製造・販売を幅広く手がける。主力製品である「立つ湯たんぽ」シリーズは、経済産業大臣賞、グッドデザイン賞を受賞するなど、機能・デザインともに高い評価を受けている。

ロングセラー商品である「立つ湯たんぽ」は、どのような経緯で生まれたのでしょうか。

 立つ湯たんぽの誕生は、昭和60年まで遡ります。当時、会社の主力製品となっていたのは、じょうろ、灯油缶、ポリバケツなどプラスチック製の生活用品。ただ、それらは主に春や夏場のうちに製造する商品だったのですね。ですから、秋冬の時期には工場の機械を止めるため稼働率が悪く、何とか打開できないかと、当時の専務であり私の父でもある先代は、解決の糸口となるアイデアを見つけるために様々な場所に出掛けていたそうです。あるときホームセンターに視察にいき、そこで目にとまったのが湯たんぽでした。他の商品がきれいに並べられているのに対して、湯たんぽだけは小判型の形状のため、きれいに積み上げることもできず、ただ乱雑に置かれていました。それを見て思いついたのが“立つ”湯たんぽだったのです。立てることができればきれいに陳列できますからね。でも、周囲からは「今さら湯たんぽはないんじゃないか」など、かなり反対されたようです。ただ、実際に店頭に並ぶことになると、そういった声に反して、年ごとに売上が倍増するほどのヒット商品となりました。今でこそマーケティングにおいて商品の陳列は重要視されていますが、その当時、陳列という点に着目したことがビジネスとして成功した要因のひとつであったのではないでしょうか。

仕事をする上で、常に心がけていることを教えてください。

 私の仕事は、社長業はもちろん製品の企画から営業、ときには工場に入って自ら製品をつくることもあります。社長がどこまで介入すべきかという議論はありますが、大企業ではない私たちのような企業は、社長自らが前線に立って職務をこなしていくことが何よりも必要だと考えています。そのようなスタンスなので、秋冬商品の商談会が始まる6月、7月は多忙を極めます。それに加えて私自身が、一度何かが気になると、たとえそれが小さなことであっても、まずそれを解決しないと気が済まない性格なんです。例えば商品に入れるレッテルの紙の厚みだとか。自分でさらに仕事を増やしています(笑)。小さなことかもしれませんが、そこまで気を配り、こだわっていくことは大切なこと。それはお客様にちゃんと伝わりますし、お客様に商品を提供するメーカーの当然の責任だと思います。大変なことも多々ありますが、どこかでこの忙しさを楽しんでいる自分もいる。様々な経験を通して、社長としての自分が成長していくこと、会社が成長していくことを、私自身がいちばん期待しているのでしょうね。

エコや省エネへの関心が高まる中で、今後どのようなビジネス展開をお考えですか。

 今から3年ほど前に湯たんぽブームがありました。その時と比較すると現在の市場規模は縮小していますが、ずっとこの業界を見てきた私たちは適正な状態に戻ったと認識しています。最近の傾向として、消費者は本当に必要だと思うものを適切な価格で買うようになっていて、今まで以上に目的とターゲットをしぼった商品展開が必要だと考えています。
さらに今年は、東日本大震災による影響を考えなければいけません。震災をきっかけにライフスタイルを見直す機運が広がっています。わが社の商品を求める動きも出てくるかもしれません。被災された方々のために、自分ができることをしていこう。そんな多くの想いや期待に応えていくためにも、必要としてくださる製品を安定的に供給していくことが、メーカーとしての私たちの使命だと考えています。

今、東日本大震災のお話が出ましたが、 被災地の方々に支援物資として湯たんぽを送られたそうですね。

 過去に阪神淡路大震災後の混乱を経験しており、地震が発生した後どういうことが起こるのかある程度想定できていました。どんな依頼があっても、すぐに対応できるように準備だけはしておこうと思っていたその矢先でした。とある方から「被災地に湯たんぽを送りたい」という依頼があったんです。もちろん快諾し、すぐに具体的な話をすすめていきました。そして依頼から1週間後には3,000個程の湯たんぽを無事被災地に送ることができました。震災発生当初は義援金といった支援も考えましたが、私たちだからこそできるもっと踏み込んだ支援がしたいと思っていました。私自身、ライフラインが途絶えた中でもお湯さえ確保すれば暖をとることができる湯たんぽが、まだ雪の残る被災地で必ず役に立つと自負していましたし、少しでも被災された方々のお役に立てたのではないかと思っています。

学生時代の最も印象に残っているエピソードを教えてください。

 学生時代はゴルフ一色の生活を送っていました。私が入学したときには、まだ大学にゴルフ部はありませんでした。それなら自分が体育会のゴルフ部をつくってやろうと(笑)。部員を集めることから、中部学生ゴルフ連盟への加盟手続き、練習場探しなど、すべて一人でやっていきました。何とかゴルフ部を立ち上げた後も、基盤があったわけでもないので、すべてが手探りで苦労の連続でした。今となっては人生を巻き戻しやり直したいようなこともありますが、ただ、そういったことも含めて、この過程のすべてが心の支えとなり、ビジネスを行う上での糧となっています。大学の就業支援プログラムに講師として参加させていただいていることも、このような貴重な人生経験をさせてもらった日本福祉大学への私なりのささやかな恩返しなのです。

最後にメッセージをお願いします。

 「言い難いことは言う」。これは私自身が常に心がけていることであり、会社でも社訓としても掲げている言葉です。もちろん、言葉に発することでネガティブな結果を招くこともありますが、黙っていては前途が明るくなる可能性すらなくなってしまいます。曖昧な言葉を使わず、身振り手振りや声のトーン、表情など、あらゆるコミュニケーション手法を使うこと。そうすることで、きっと自分の気持ちが相手に伝わるはずです。仕事の上でも、社会生活を営む上でも、コミュニケーション、そして、その先にある信頼関係がとても重要になってきます。それを築くためにも、私は自分自身に対しても正直であり続けたいと思っています。
(2010年8月10日発行 日本福祉大学同窓会会報107号より転載)