『M A K E s m i l e 』を合言葉に5 0 か国でアート活動。 周りを元気にしたいという、一途な想いが原動力。

ITOKiNさん
ITOKiNさん(本名:伊東 慶輔さん)
アーティスト・グラフィックデザイナー・旅人
愛知県出身。2005年、日本福祉大学経済学部卒業。大学4年生の就職活動中に、日本全国をバイクで巡りながら「自分の好きなこと」を模索し、幼少から興味のあったデザインの道へ進むことを決意。卒業後、グラフィックデザインの専門学校に2年間通い、広告のグラフィックデザイナーとしてデザイン事務所に勤務。2012年、29歳で退職し、アーティストをめざしてアメリカ・ニューヨークへ。
『MAKE smile』を合言葉に活動し、「左手で描く」「赤青黄の3色」という個性的なアートで注目を浴びる。その後5年間で約50か国を訪問し、似顔絵や路上アートを中心とした活動を展開。2017年から日本を拠点にイベントにも多数出展しており、国内外の企業からオファーを受けている。

―日本福祉大学へ進学した理由を教えてください。

 高校生の頃は日々を楽しむのに夢中で、先のことをあまり考えていませんでした。いざ進路を決める時に日本福祉大学という大学名を目にして、「福祉は、就職や将来の自分に役立つかもしれない」と思ったんです。そこから大学を1本に絞り、推薦入試で入学しました。

―大学時代はどんな学生でしたか。

 とにかく人が大好きで、壁をつくらずいろいろな人と接する学生でした。入学式で知り合った友だちに会いに、美浜キャンパスから半田キャンパスまでぶらりと出かけたり。
 また、特定のグループに所属するより、多くの人とつながることを求めて、遊べる本屋「ヴィレッジヴァンガード」でアルバイトを4年間続けました。僕はお店の全アイテムに付ける手描きの商品POP描きを志願。この仕事で、幼い頃に抱いた「デザインの道へ」という心の声に改めて気づいたと言えます。アルバイト仲間の芸大生やサブカルに詳しいお客さんからも刺激を受け、アートの奥深さを大いに学ぶことができましたね。

―念願のデザインの仕事に就いた後、会社を退職して 2012年から海外でアート活動を始めるきっかけは 何でしたか。

 2011年に起こった東日本大震災です。ニュースや、ボランティアに出かけた仲間の話を見聞きして「人生は有限だ。僕は何ができるだろう」と自問自答。そして「絵を描いて、周りを元気にしたい」と心から思いました。
 いざ絵を生業とするには、アートの本拠地であるニューヨークへ一気に行かないと時間のムダだと思い、2011年にまず10日間の休暇を使って現地へ。すべてが新しく、人が発するエネルギーが強く、ちょっとでも気を抜いたらすぐにでも淘汰されるという勢いを感じ、「ここでやるしかない」と直感したんです。そこから1年間でお金を貯め、英語の得意な友だちを誘って2人でニューヨークへ旅立ちました。

― ITOKiNさんの活動は、『MAKE smile 』という合 言葉と、「左手で描く」「赤青黄の3色」というアート が特長です。これはいつ生まれたのでしょうか。

 たまたまラジオDJの方の似顔絵を描いたところ、SNSで反響が高く、「似顔絵を多く描いて世界中に配ったら喜ばれるだろう」と思ったことが、『MAKEsmile』プロジェクトの始まりです。
 僕の作品のルーツは、2011年に友だちと2人で開いたイラスト個展です。2人の絵をただ並べても、個展としては成立しないだろうと。そこで、かなり上手な絵とかなり下手な絵を対比で並べたら面白いと発想し、僕は左手で描くことにしました。個展の期間中にワークショップを開いたところ、参加したがる方々が続出。不器用な絵でアートへのハードルをぐっと下げたことで、絵が苦手な人でも気軽に参加できるようになり、それによってより多くの人を巻き込めると気づいた瞬間ですね。
 初の個展で決めた「左手で描くこと」「赤青黄の3色」を個性として、「特別なスキルがなくても、世界で活躍できる」という想いを伝えていきたいと思いました。

―ニューヨークに行ってからの活動は順調でしたか。

 最初の1 ヶ月は、自分自身の知名度を高めるべく、ニューヨーク中を着物で歩き回りました。メディアが集まる「ニューヨークコレクション」で注目を浴びて取材まで漕ぎつけるものの、言葉の壁によって活動趣旨が伝わらずインタビューは即終了。悔しかったですね。
 ニューヨークは出会った人の約8割が「アーティスト」と名乗るほど競争が激しく、みんなギラギラしていました。僕は路上で、30秒に一枚のペースでスケッチブックに絵を描く早描きを披露。でも観客はパフォーマンスではなく、隣に置いた大きな段ボールを見ていたんです。
「僕は世界に笑顔を広めるためにアート活動を行っています。みなさん協力してください」と大きく描いた僕のメッセージを。路上で人を集める手段は、絵ではなくてメッセージだったんですね。路上アート活動で100ドル稼げる日もありましたが、「生活できるだけではダメだ。個性がなければ生き残れない」と心を決め、3ヶ月後にメキシコへ出発しました。

― 5年間で50か国を巡りながら、どんなアート活動を 行ったのでしょうか。

 基本は路上でアートを披露し、チップをいただいて旅を続けました。
 ブラジルでは日本で仲良くなったブラジル人の友だちの実家へ遊びに行ったら、パーティーのゲストが次々に家に招いてくれ、僕はみんなの似顔絵を描き続けました。こうして仲間の輪が広がり、今でも世界中の約5,000人とSNSでつながっています。
 フィリピンのスラム街は至るところがゴミだらけ。僕はゴミの山からバスケットゴールを見つけ出して絵を描き始めました。左手を使い3色のペンで描くにつれ、子どもたちが集まってきて興味津々。完成したゴールを街角に置いてボールを投げ入れてみると、みんながマネして遊び始めました。ただのゴミがアートの力で遊び場になったんです。
 一方で、モノがないアフリカの砂漠では、僕のような派手で明るい外国人が現れて絵を描くだけで大喜びしてくれました。巨匠の作品だけでなく、一緒に楽しむ身近なアートが「世界中に笑顔を広げる」ことを改めて実感できました。

―世界のアート活動から、日本での活動へ移行したき っかけを教えてください。

 2015年のネパール大地震がひとつの節目です。ちょうどアフリカに滞在し、現地の友だちとネパールで洋服を生産する企画を進めていたので、ネパールに縁を感じてボランティアへ出かけました。
 地震の後、建築系の技術者や医療関係者のサポートは増えていましたが、子どもの心のケアをできる人がいなかったんです。そこでアウトドアメーカー企業と協力し、子どもたちに自由に絵を描いてもらうプロジェクトを立ち上げました。海外での経験で身についた力を、自分自身の原点である日本で挑戦してみたいと思ったことが日本に目を向けるきっかけになりました。

-今は日本でどのような活動を行っていますか。

 2017年から日本を拠点とし、企業のイベントや音楽フェスで行う「ライブペイント」をメインに活動しています。僕は「絵というツールで世界中の人とつながることができ、挑戦し続けることで夢は叶う」という想いを伝えたい。その方法としてフェスなどのステージにキャンバスを置き、みんなでひとつのものをつくり上げる方法をとっています。例えば「今日の思い出」というお題で子どもたちが小さな絵を自由に描き、最後に僕が「一枚の絵」として完成させるというものです。ライブペイントは絵の苦手な人でも参加でき、子どもは夢中になって描いています。子どもたちに『MAKEsmile』を体感してもらうことが人生の小さなきっかけやアートへの興味につながればと願っています。
 また、まちの一日を3色のペンで一枚の絵にするというストーリー性を持たせるのも、世界の旅で生まれた僕の絵の特長です。企業や商品のお話を聞いて、歴史・人・モノを一枚の絵にまとめて伝える、そんなお役にも立てるといいですね。
 僕が世界から得た多くの経験を発信し、全国の人々の笑顔の源になれればいいなと思います。

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福祉文化賞
今年で16回目を迎える日本福祉大学高校生福祉文化賞エッセイコンテスト。今年のキービジュアルはITOKiNさんとコラボレーションを行いました。赤青黄で織りなすITOKiNさんの元気なイラストが
大いに表現され、見る人を笑顔にしてくれます。今後もITOKiNさんの国内外での目まぐるしいご活躍をご注目ください。